おまけ@洛樂史学会

考察 みたいなもの


2.地域の偏りについて

調子に乗って「2」とか書き始めてみましたが、実際まだなにも考えてません(死
とりあえず、表にまとめてみましょうか……。
都と大和国は別にしました。が、一緒にしても変わらなかった気がします。
 
表3.国・地域別の記事数
国名地方文武元明元正聖武孝謙地域計地方計
畿内
大和畿内
河内畿内
山背畿内
摂津畿内
美濃東山道
土佐南海道
常陸東海道
遠江東海道
三河東海道
下総東海道
合計1616

文武朝では畿内が圧倒的ですが、その後、徐々に東日本の記事が増える傾向がありますね。
事例が少ないからアレですが、それでも明らかに偏ってますし。
さあ、どうしてなんでしょうね。
分かりませんねー、さっぱり。
 
……分からないなりに少しは考えてみましょうか。
もう答えは分かった、あるいは知ってる、なんとなく思いついた。
そんな方は、今すぐraku2sigakukai@hotmail.co.jpまでメールで教えてください。
 
ところで、
そもそもどうして多産記事は続日本紀に載っているんでしょうか。
もちろん、三つ子の珍しさが大きな要因なのは間違いありません。
じゃあ、三つ子が珍しいから続日本紀に載ったのでしょうか?
違う。と思う。
記事の趣旨は「珍しく三つ子が生まれた」というものではありません。
「三つ子が生まれたから褒賞した」というのが、続日本紀の言いたいことです。
大事なのは後半部分。
律令政府が褒賞した(日本語あってる?)からこそ、奈売さんの名前は記録されてるわけです。
となると、一つの疑問が生まれませんか?
 
なぜ、律令制府は多産を褒賞したのか。
 
めでたいから、
ですよね。
白い亀が見つかったといっては喜び、良い形の雲が出たと大騒ぎするような律令政府です。
もちろん、めでたいことと喜んだに違いありません。
 
でも、それだけなんでしょうか。
私は、それだけでは納得しきれないものを感じます。
いくら策謀と内戦の時代だからって、民政記事まで素直に読まないのは穿ちすぎですか?
そんなことありませんよね。
民政だって政治です。てか、別に穿った見方でもないし。
現代は、民政こそが政治(のハズ)ですけど。
 
ここで一度確認しておきますが、
最終的に「なぜ多産記事の地域に偏りがあるのか」さえ分かればそれで考察は終了です。
や、話が迷走しそうだから、自分の為に再確認。
 
 
一度、多産記事ができあがるプロセスを考えてみましょうか。
  1.赤ちゃんがたくさん生まれる。
  2.国司または京職・摂津職が律令政府に報告する。
  3.律令政府が褒賞する。
  4.続日本紀に記録される。
はい、多産記事の完成です。
 
まず、「1」の段階で地域差はないと考えたいところです。
……あるのかなあ。あったら、そもそも考えるだけ無駄なんですけど。
できれば「4」にも問題はないことにしておきたいですね。
いや、そうしよう。
 
さて、問題は「2」と「3」。
どちらかというと、地域によって異なりそうなのは「2」の方ですね。
 
……とここまで書いたところで、自分が奈良時代に詳しくないことを思い出しました。
続きはまた来週ってことで。


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